記憶の断片

自分の都合のいいように、記憶が消せたら、ずいぶん幸せだろうな。
楽しかった思い出に辛い思い出が重なって、どちらかを消したい…
大抵は辛い方だけ消せばすむ。でも、今の状況が延長線上にあるなら、まとめて消したい時もある。

こういうことを乗り越えていかないと成長しないんだが、今が精一杯だと仕方がない。

毎日毎日同じことを繰り返しても、どこかで少しずつ消しゴムをかけたり。
手に入れた分と同じ数だけ無くすものがあったとして、なくしたものに対する愛着。
無くしたくないものを最初からそっくり無かったことにすれば、哀しくならないのにな。

誰がいいとか悪いとかじゃなくて、そこを消して、新しく書き替えて…

無理だ。

自由に生きようと思えばできるのだろう。
それがなぜできない?

できない理由は手枷と足枷なんだろう。
年を取るほどに柵が増え、やり過ごすのもうまくなるが、飲み込めない異物の量も増える。

自分の歩んできた歴史や、心の表面を覆う苔を全て投げ捨てて、新しいシャツを着るのは、相当の勇気がいる。
その勇気を持つには相当のパワーが必要。

そんなパワーがあったらそもそも悩まない。
若いからこそ持ち得たものを、この年齢までキープしているやつなんてそんなにいない。

精神は老け込みたくない。
でもパワー出力は年々小さくなっていく。

新しいシャツを買っても、着ないうちにサイズが合わなくなる。そんなことの繰り返し。

手枷も足枷も断ち切って、一人の男だったと見つめ直す時間やチャンスは、いつの間にか目の前を通り過ぎた。
チャンスは見えなかったのではなく、見ようとしなかっただけ。
それを捕まえて実行するリスクに怯えていただけなんだろう。

捨てることはできないけど、自由にはなりたい。
この矛盾をどうすれば解決できるのか。どこかに答えはあるのか。

昔なら、探し回っていた。
少しずつずるくなって、やり過ごすことができるようになってきて。
それが年を取ったと言うことなのか。

想いはつきない

亡くなった友人との思い出。

彼の勤務先の中にあった居酒屋。
1999年だったかな。
20人くらいの飲み会。

この店のゆずサワーは絶品。
馬路村のゆずだもん、そりゃあ旨いさ。
この連中、飲むのがすごく早い。
体の大きい人が多いからね。

いつしか注文は各自2杯ずつ。
「ゆずサワー40杯お願いします」

厨房が追いつくはずがない。
みんなゲラゲラ歓談しながら、ゆずサワーを待つ。
全員分1週目が渡るたびに乾杯!
そしてまたゲラゲラ。この繰り返し。
笑顔のオンパレード。もちろん彼の笑顔もそこにあった。

楽しかったな。今までで一番楽しかった宴会の一つ。

もっとゆっくり飲む機会があったら・・・と思う。
最初に体をこわされてから、あまり飲まれなくなったし。
あの、体中が笑顔のような友人ともう一度・・・・