シニカルな視点、SNSの言葉その3

一般論として読んでいただきたいのだが。

SNS、特にFacebookは日記代わりに使用する人が多い。
特に私の知り合いは食べることが好きな人が多いから、さながら食レポのようなTLとなる。

その情報を見て知り得ることもある。簡潔にまとめてあるレポは参考になる。ただそうでないレポも当然ある。

自分のフォーマットで書いているのかどうか知らないが、どこかの店に入って食べる。そのときに「◯◯店主に挨拶」ってのを見る。これ必要?

しかも、その場合はたいてい気さくな有名店主。間違っても、あまり話題に上らないお店や、超有名店主ではない。端から見てると、「おれは◯◯店主と知り合いなんだ」って言いたいだけなんじゃないのとしか思えん。

仮に、じゃあ三田某店に行って◯◯店主に挨拶とか、家系総本山と名乗る店に行って◯◯店主の息子に挨拶とかやれないでしょ。向こうから個体認識されている(かもしれない)ことを、わざわざ書いてるだけだよね。

この辺の書き込みって、読んでてだからどうなの感が強いんだよな。特に東関東の方に多いような気もするが・・・・・。

宣伝にしても中途半端だよね。もっと精緻に書けば宣伝となり得る素材を、小さな自己満足のために価値をおとしめる。そんな気がするんだよねえ。

え、おまえのブログ駄文もそうじゃないのかって?仰るとおりでございます(笑)

博奕

博奕ってのは必ず胴元が損しない仕組みになっている。
馬だって自転車だって配当はテラ銭をひいたあとの分配だ。

今ひとつ好きになれない博奕の一つにパチンコがある。
パチンコで生活してるって人を何人も聞いたことがあるのだが、ホントにそれで生活できるのか?
仕組みから言ったら勝ち続けるなんて事はあり得ず、損失の方が大きいはずである。
なぜなら、パチンコにはテラ銭がない。確実に一定額を差し引いて分配する仕組みではない。
ということは、胴元は必ず儲かる方法が他にあるわけで、そこに陥穽がある。
出る台出ない台があるというが、確実に解るわけではない。
もし確実に解るなら、既にそれはギャンブルではない。勝てる台を選べばイイだけのこと。
勝てる台を選べないから日々無駄金をつぎ込む。競馬の予想と大きく違うのはそこだ。
馬が走ってる姿は美しい。それだけでも娯楽。パチンコ玉が走ってる姿が美しいか?

何でこんな事を書いているかというと、あまり親しくはない知り合いがパチンコに嵌っている。
決して暮らし向きが楽な訳じゃないのに。娯楽なのか生活費稼ぎなのかそれはわからないが、そんなことしてる場合じゃないんじゃないかな。あ、余計なお世話か。

微妙に溜飲の下がらない話

マスターが病気で店を閉めたカレー屋さんが、移転して再開したのよ。
早速、食べに行ってさ。そこのご夫婦はインドから来られてて、とってもいい方なのさ。

諸事情により四回目の移転。移転した店が狭くて、タンドーリが置けないって泣いてたけどマトンのカレーはやっぱり旨いし。
体力的な問題で、メニューは絞っているが、メニューに書いてないものも作ってくれる。

店はカウンターが6から7、テーブルが1卓4席。
わっちたちは、カウンターで美味しくカレーをいただいていたのよ。

そこに地元民らしい60から70くらいのおっちゃん二人組。
到着早々、カレーくれとか宣っている。わっちたちの他には、常連3人。
カウンターにそいつらの座る場所は空いてないのだが、無理くり座ろうとしてる。
わっちはその時点でアウトを宣告したいのだが、お店の立場もあるし、黙って見てた。

おっちゃん達は、奥のテーブルに座った。
「ビールくれ」と。もうただの酔客。
1人がもうデロデロで、もう一人がややマシだが酔っ払いに変わりはない。
んで、「すみません、騒がして」とか言ってるから、ボソボソつぶやいてたんだよ。

「ほんとにそう思ってねえだろ」とか。そしたら、わっちの隣に座ってた常連がさ、わっちに反応して笑ってるのよ。

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