たぬきのMusic Chronicle~第6回~佐野元春Part3

鋼鉄のような知恵

VISITORSを発表してから暫くして元春は帰国する。このあとこのアルバムのツアーを敢行するのだが、残念ながらこのツアーは見ることが出来なかった。あとで聞くと相当アバンギャルドなツアーだったらしい。

その後、85年2月に「Young Bloods」を発表するのだが、これがまた「VISITORS」とはサウンド感が異なる楽曲で、「Shout To The Top」によく似ていると言われたものだ。元春の曲はいわゆる本歌取りに近いものが多い。パクりと言う言い方をする人もいるが、本歌に対するオマージュに溢れていると私は思う。

鋼鉄のような知恵、輝き続ける自由・・・タフな人間たちにこそ自由はある。しかし、そこにたどり着くまでいくつの夜を越えるのか。そんなテーマがここにはある。

「Young Bloods」は国際青年年のテーマ曲として、NHKのスポットでもかなり流れていた。そのせいもあって、元春初のトップ10ヒットとなった。いわゆるブームとしてのセールスはこの辺りから急に上昇カーブを描く。同曲の印税は飢餓に悩むアフリカ難民救済のチャリティーとして寄付された。

前後して松田聖子にHolland Rose名義で「ハートのイヤリング」を提供した。ペンネームの由来は諸説ある。この曲はTOPヒットとなったが当時このペンネームが誰なのかというのは、あまり公開されてなかったので話題にもなった。
その後元春は自作詩を音楽に乗せて朗読するという手法をとる。スポークン・ワードと言う手法だが、前回のアルバムで日本語ラップというジャンルを開拓した元春にとって、詩人としてさらに抽象的かつドラスティックに見つめた解釈の音楽とは言えまいか。

この手法は現在までも好んで使っており、その詩には元春の持つ様々な世界観が凝縮されている。音楽、というか楽曲としてメロディに乗せなければならないという制約がないからだろうか。

シングルカットされた「リアルな現実 本気の現実」はセールス的には伸び悩んだ。元春はブームが上昇気流に乗りそうなところで実験作を発表することが多いような気がする。 “たぬきのMusic Chronicle~第6回~佐野元春Part3” の続きを読む

たぬきのMusic Chronicle~第5回~佐野元春Part2

前回の続き。

福生の仙人、大瀧詠一と出会った元春は、ナイアガラ・トライアングルの参加を持ちかけられる。トライアングルもう一人のメンバーは杉真理。

今でこそ、コラボレーションは普通だが、当時レコード会社、事務所も違う3人の組み合わせは考えにくいことだった。
奇跡的なコラボレーションが実現したのは、関係者間の調整が長引くことを嫌がった大瀧が杉のイベントライブのステージ上で、「NIAGARA TRIANGLE Vol.2」の制作を発表したためだ。

既成事実を作って関係者間の調整をする方法は、その後一般化していく。ちなみに、その杉真理のライブのゲストが大瀧で友情出演が元春だった。

元春がラジオで話していた話を要約すると、SOMEDAYのアイデアは大瀧のレコーディング風景から生まれたそうだが、大瀧のレコーディング風景から生まれた曲を大瀧が聞いて、そしてコラボというこの流れにより、元春の楽曲に色が加わったのは間違いないだろう。

徐々ににアルバムセールスも上昇して、認知度も高まったところで元春は突然ニューヨークに旅立つ。直前にリリースしたアルバム「No Damage (14のありふれたチャイム達)」がオリコンで1位を記録し、セールス的にこれからだというところでだ。

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たぬきのMusic Chronicle~第3回~CHAGE and ASKA

コッキーポップを中学時代に聞いていた。
当時はニューミュージックというジャンルが台頭し、昔のフォークがそう呼ばれ始めた頃で、ギターを持つかピアノをたたくかの違いはあるにせよ、自分で作った曲に、自分で詞をつけ、自分で唄うというスタイルにずいぶん憬れたものだ。

コッキーポップの影響で自分もギターを弾きたいと思い、自分の主張を世に問いたいと思い、そうやって中学から高校を過ごし、しょうもない曲を作っては唄っていた。

もちろん、他人の曲をコピーしたり、誰か仲間を呼んで一緒に唄ったり、それはそれで楽しかったし、そのミュージシャン、アーティストのファンになったりした。

そんなアーティストグループの一つにCHAGE and ASKA(当時はチャゲ&飛鳥)がある。

初めて聞いたのはポプコン本選会の歌声。ニューミュージックと言う語感とはほど遠く(笑)、まるで演歌のような唄いまわしと叙情的なアレンジに圧倒されたのを覚えている。

初期のワーナーパイオニア時代のフォーク演歌とも言うべき路線の中で出たヒット曲が「万里の河」なのだが、この頃の僕たちは、こういう曲はコピーしなかったなあ。なんか、こう、ダサい感じがして(笑)

アルバムに入っていた「荒野」「翼」「闇」「夏は過ぎて」なんてのをコピーしちゃ唄ってたんだよな。これが取り立ててかっこいいわけじゃないけどね。この辺は部活の先輩方の影響も多分にあったし。

この頃は、ポップな曲はCHAGE、重たい曲・シンプルで伸びのある曲を作るのはASKA という図式を頭の中で勝手に描いていて、必然的にギターを持って唄うのはAskaの曲ばかりになっていくのだが、まあ、あの音域はカバーできなかったな。

ポニーキャニオンに移籍して、初めて発表した曲が「モーニング・ムーン」。この頃からロック色を強めていくわけだが、この曲に関してはまだ演歌臭の漂うボーカルだった。

そのASKAのボーカルもだんだん垢抜けてきて、それと同時に曲作り、アレンジも洗練されてくるようになった。アイドルやアイドルグループに楽曲を提供するようになって、自分たちの曲もミディアムの流れが心地いい方向に走っていったような感じがするな。

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