シニカルな視点、SNSの言葉その3

一般論として読んでいただきたいのだが。

SNS、特にFacebookは日記代わりに使用する人が多い。
特に私の知り合いは食べることが好きな人が多いから、さながら食レポのようなTLとなる。

その情報を見て知り得ることもある。簡潔にまとめてあるレポは参考になる。ただそうでないレポも当然ある。

自分のフォーマットで書いているのかどうか知らないが、どこかの店に入って食べる。そのときに「◯◯店主に挨拶」ってのを見る。これ必要?

しかも、その場合はたいてい気さくな有名店主。間違っても、あまり話題に上らないお店や、超有名店主ではない。端から見てると、「おれは◯◯店主と知り合いなんだ」って言いたいだけなんじゃないのとしか思えん。

仮に、じゃあ三田某店に行って◯◯店主に挨拶とか、家系総本山と名乗る店に行って◯◯店主の息子に挨拶とかやれないでしょ。向こうから個体認識されている(かもしれない)ことを、わざわざ書いてるだけだよね。

この辺の書き込みって、読んでてだからどうなの感が強いんだよな。特に東関東の方に多いような気もするが・・・・・。

宣伝にしても中途半端だよね。もっと精緻に書けば宣伝となり得る素材を、小さな自己満足のために価値をおとしめる。そんな気がするんだよねえ。

え、おまえのブログ駄文もそうじゃないのかって?仰るとおりでございます(笑)

クレーマー

ある店のクレームの一件を読んで。

寛容さがなくなったと感想を書いていた方がいたが、そういう問題ではない気がする。

要は何か一点でも気に入らないことがあれば、クレームを付けまくる。それは取るに足らない内容でもかまわない。

始末に悪いのは、クレームを付ける自分が正義の塊かのように「こちらが正しいのに、認めないとは何事だ!」と、陶酔してしまうこと。

店主が「何が目的なのか、理解不能」と書いていらっしゃったが,こういう輩には目的なんかない。クレームを付けたいだけなのだ。(あ、それが目的か)

そして、店側から謝罪の言葉や、何かの品をせしめようとする。クレームを付けたことによる戦利品は副次的なもので、いつしかそれが逆転していき、目的はそれになる。恐喝という立派な犯罪だ。

クレームならその場で言えばいい。ネットに書いたり、ネガティブなキャンペーンをすることを仄めかすのは、いかがなものかと。

一種の心の闇、心の病みと書き換えてもいい。幼稚な欲求をそのまま持ち続けて、形だけ成熟した人間になってしまっている。

そして、何事もそうなのだが、記事を読んだ方は明日は我が身だ。接客業、特に飲食業では、顕著に起こりえる問題だと思うが、どんな仕事でも対価として金銭をもらう以上、置き換えて考えることはできまいか。

その店主には、「気にしないで、営業してください」としか言えない。クレームに対する初動は、話を聞くことなのだが、最初からクレームが目的の客に、貴重な時間をとられてはかなわない。いつでもそこにある問題は、案外根が深い。

外メシシリーズ-12月第四週-

12月21日
昼から浅草をなにを食べるでもなく、ぶらぶら。気に留まったお店にふと入店。

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冬の天丼。白子、メヒカリ、エビ、キスが天種。
江戸前の甘辛いタレなのだが,どちらかというと辛い方にシフトしていてすっきりしたいい感じ。
店の中のレトロさが、作られた空間でなく紡いだ歴史を彷彿とさせるのがまた良し。

12月22日
寒い。脂摂りたい。そんでここ
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楽ラーメンにぶためし。
わかったのだが、背脂には強い味が必要なのである。
ダシでもタレでもいい。強い味が必要なのである。
そういう意味でここは元ラーメンの方が好きだ。ぶためしは懐かしかったけどね。

なぜか帰りが夜中になってしまい・・・(笑)ここに。
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ねぎらーめん、普通で。夜中に食べるのは格別だね。
青森のニンニクも絶好の味変アイテム。旨味ー。

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