知天命

知天命というのは論語の一節。

 

子供の頃はきっと何かになれると、夢想していた。

現実との齟齬を感じた青年期があって、その何かになれたかは推して知るべし。

いろいろと考えてしまう。まだまだ未熟者だし、いつになったらできるのかっていう課題もあり。

友人のありがたみや、周囲の環境に感謝することが増えた。

一人ではきっと何もできない。抱え込んでも何も進まない。

天命を知る・・・・・・残された人生、あと何年だろう。

少しでも心を豊かにしていきたいとは思うが、俗物であることも忘れずにいたい。

 

今日、50歳になりました。

シニカルな視点、SNSの言葉その1

一般論として読んでいただきたいのだが。

SNSをやっていて、違和感を感じること、それは「追悼メッセージ」だ。ニュースとして記事を最初に上げた人はまだしも、それに追従して「合掌」やら「R.I.P」やら、あ、追従じゃなくて追悼か。これ、意味あるのかねえ。

著名人が亡くなる記事を見ることは、ほぼ毎日ある。星の数ほどの著名人がいるのだから、当然のことで、中には自分がファンだったり、生きる指針になっていたりした人もいる。大変な功績を残されて、それがいまの自分の仕事に有用だったり、まあ様々。

人の死を悼む気持ちはそれそれだから、「何言ってんだ」と言われればそうなんだが、普段、街を歩いていて、セレモニーホールなどで弔う儀式があったとしよう。あなたはそこで合掌したりするだろうか。

宗教的な理由でもない限り、まず、しないと思う。そんなに信心深い人はそうそういない。

それでも、なぜ「追悼メッセージ」を書いてしまうのか。仮に近しい存在なら、思い入れがあるだけ、長文になるだろう。SNSである以上、悲しい気持ちも共有して欲しい、もしくは思い出を語りたいという側面は否定しない。そこで、それに便乗して「合掌」やら「R.I.P」やら、ファッションと変わらない。

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忘れられないもの、忘れてはいけないもの。

ニュースが流れた日、所縁のあるお店に行った。
忘れられないもの、忘れてはいけないもの。

そういうもののために一人で献杯。
それほど親しくさせてもらったわけではないが、あの笑顔、あの手の温もり。

初めて行った32年前を思い出した。
懐かしい思い出だな。

所縁のあるお店のご主人も、昨年大病して2ヶ月休んだそうだ。
食べ歩きを始めた頃の、パワフルでまだ若かったご主人たちや友人たちも確実に年を重ねていて、ああもうそういう年齢なんだと思うこの頃。

一つ年を取るごとに、忘れることが増えていく。
忘れられないもの、忘れてはいけないもの。

日々は続く。