たぬきのMusic Chronicle~第5回~佐野元春Part2

前回の続き。

福生の仙人、大瀧詠一と出会った元春は、ナイアガラ・トライアングルの参加を持ちかけられる。トライアングルもう一人のメンバーは杉真理。

今でこそ、コラボレーションは普通だが、当時レコード会社、事務所も違う3人の組み合わせは考えにくいことだった。
奇跡的なコラボレーションが実現したのは、関係者間の調整が長引くことを嫌がった大瀧が杉のイベントライブのステージ上で、「NIAGARA TRIANGLE Vol.2」の制作を発表したためだ。

既成事実を作って関係者間の調整をする方法は、その後一般化していく。ちなみに、その杉真理のライブのゲストが大瀧で友情出演が元春だった。

元春がラジオで話していた話を要約すると、SOMEDAYのアイデアは大瀧のレコーディング風景から生まれたそうだが、大瀧のレコーディング風景から生まれた曲を大瀧が聞いて、そしてコラボというこの流れにより、元春の楽曲に色が加わったのは間違いないだろう。

徐々ににアルバムセールスも上昇して、認知度も高まったところで元春は突然ニューヨークに旅立つ。直前にリリースしたアルバム「No Damage (14のありふれたチャイム達)」がオリコンで1位を記録し、セールス的にこれからだというところでだ。

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たぬきのMusic Chronicle~第4回~佐野元春Part1

昨日から、頭の中でずーっと鳴っている曲がある。

「I’m in blue」

佐野元春の三枚目のアルバム「SOMEDAY」に収録されている。
何の動機かわからないが、脳内にずっと歌詞が流れている。

今回から何回かに分けて佐野元春について書こうと思う。

佐野元春・・・1980年3月21日、シングル「アンジェリーナ」で歌手デビュー。これだけ書くと何の変哲もない。
しかし、デビュー直後からテレビ神奈川の音楽番組「ファイティング80’s」のレギュラーに抜擢されるなど、プロモーション的にはある程度恵まれていたと思われる。宇崎竜童がMCの番組で、友人に言われたので見ようとするのだが、当時UHFを見るのは難しかったのを覚えている。同年4月21日にアルバム『BACK TO THE STREET』を発表。7月から月一回、新宿ルイードでライブを始める。

新宿ルイードは当時、新宿駅前のビルにあり、それほど多くない観客の前で元春はハートランドとともにライブを行っていた。今でこそそんなパフォーマンスは当たり前だが、狭いステージを走り回り、時にはテーブルの上に立ち、時には設備の消火器に向かってシャウトするボーカルに、熱くなった。

「つまらない大人になりたくない」

どれだけそう思って、今まで過ごして来たことだろう。私はつまらない大人になってしまっただろうか、常に自問自答してしまう。この頃の元春の言葉にいろいろな想いが重なる。

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たぬきのMusic Chronicle~第3回~CHAGE and ASKA

コッキーポップを中学時代に聞いていた。
当時はニューミュージックというジャンルが台頭し、昔のフォークがそう呼ばれ始めた頃で、ギターを持つかピアノをたたくかの違いはあるにせよ、自分で作った曲に、自分で詞をつけ、自分で唄うというスタイルにずいぶん憬れたものだ。

コッキーポップの影響で自分もギターを弾きたいと思い、自分の主張を世に問いたいと思い、そうやって中学から高校を過ごし、しょうもない曲を作っては唄っていた。

もちろん、他人の曲をコピーしたり、誰か仲間を呼んで一緒に唄ったり、それはそれで楽しかったし、そのミュージシャン、アーティストのファンになったりした。

そんなアーティストグループの一つにCHAGE and ASKA(当時はチャゲ&飛鳥)がある。

初めて聞いたのはポプコン本選会の歌声。ニューミュージックと言う語感とはほど遠く(笑)、まるで演歌のような唄いまわしと叙情的なアレンジに圧倒されたのを覚えている。

初期のワーナーパイオニア時代のフォーク演歌とも言うべき路線の中で出たヒット曲が「万里の河」なのだが、この頃の僕たちは、こういう曲はコピーしなかったなあ。なんか、こう、ダサい感じがして(笑)

アルバムに入っていた「荒野」「翼」「闇」「夏は過ぎて」なんてのをコピーしちゃ唄ってたんだよな。これが取り立ててかっこいいわけじゃないけどね。この辺は部活の先輩方の影響も多分にあったし。

この頃は、ポップな曲はCHAGE、重たい曲・シンプルで伸びのある曲を作るのはASKA という図式を頭の中で勝手に描いていて、必然的にギターを持って唄うのはAskaの曲ばかりになっていくのだが、まあ、あの音域はカバーできなかったな。

ポニーキャニオンに移籍して、初めて発表した曲が「モーニング・ムーン」。この頃からロック色を強めていくわけだが、この曲に関してはまだ演歌臭の漂うボーカルだった。

そのASKAのボーカルもだんだん垢抜けてきて、それと同時に曲作り、アレンジも洗練されてくるようになった。アイドルやアイドルグループに楽曲を提供するようになって、自分たちの曲もミディアムの流れが心地いい方向に走っていったような感じがするな。

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