たぬきのMusic Chronicle~第8回~佐野元春Part5

sweet16

元春は、もう一度、ティーンエイジャーの頃の音楽に戻りたい、無邪気に音楽を演れていたあの頃に戻りたいという意識と、そこから生まれる現在の自分の状況とをクロスオーバーさせようともがく姿が垣間見えるアルバム「sweet16」をリリースする。

多彩な曲調に表れる変化はどことなく歪みが見える。内面の音楽的な放浪、元々あった開放感を上書きして、終わらせてしまったかのようなある種の諦めが元春の答えだとすると、このアルバムが一貫して人為的な明るさに包まれているように感じる。

「SOMEDAY」の年齢を重ねたバージョンといってもいい「レインボー・イン・マイ・ソウル」で、彼は自分のいるべき場所、アーティストとしての自我と相反するコマーシャリズムの中での立ち位置を見つけたのではなかろうか。

トータルで見ると、アルバムの後ろから2曲はそれぞれオノ・ヨーコとショーン・レノン、矢野顕子と異質のボーカルをフィーチャリングしており、デザートにオードブルが出てきたような違和感がある。

36歳の時に20年前を回想して原点に返ろうという姿は、モラトリアムが迫ってきた大人になりきれない大人を感じさせて切ない。

そして短い周期で次のアルバム「The Circle」をリリースする。

The Circle~ハートランドの解散

このアルバムを聴くと、元春が真面目に、彼のテーマである本当の自由、本当の無邪気さについて悩み、そしてそれを達成解決するために取捨選択に取りかかり、ある種の訣別をはっきりさせたことを感じる。

デビュー以来一貫して発表してきた作品の根底にあった、十代の頃に夢見た真実を「もう僕は探しに行かない」と言い放ち、「時間の無駄だと気づいた」と結ぶ。以前にも書いた自縄自縛となってしまったテーマから、ようやく彼は次のステップに踏み出そうとしていた。

アルバムはシンプルに内面を表現した歌詞と、やや重ためのサウンドが多く、かなりヘビーな内容といえる。他の(これより以前の)アルバムとは、塗り分けた色の違いが如実に表現されている。

「欲望」で「君を撃ちたい」、「Tomorrow」で「君の窓に灯りをともし」、「Rain Girl」で「楽しいときにはいつも君がそばにいてくれる」と、愛情の表現に変化を付けているが、一個の人間としての多面的な部分にある種の狂気をはらみ、それが人生経験によって調和していく姿は、それまでのアルバムとは一線を画す。

アルバムタイトルは円環なのだが、これは、一周して戻ってきたときに、そこに連なる責任、十代との視点の違いに向き合い、自分で決めた教義の枠をずらして、あたかもポジティブなスパイラルかのように再構築することを意味しているのではなかろうか。

このあとのツアーでハートランドは解散した。かなりの冒険である。デビュー以来、彼のサウンド、ライブはハートランドと共にあった。ハートランドの解散には、枠を外す自己矛盾を正面から迎え撃ち、「少しだけやり方を変えてみるのさ」という表現を使って、新しい表現に向かい合った元春の姿をしっかりと見ることが出来るが、昔からのファンには寂しさもあった。

昔からのファンが大人になりきれない大人というわけではないのだが、そういう甘い感情を抱いていることも大きく否定は出来ないだろう。

そして次のアルバムまで間隔が開く。

次回に続く。

たぬきのMusic Chronicle~第7回~佐野元春Part4

ナポレオンフィッシュと泳ぐ日

佐野元春にとって唯一の日本語タイトルアルバムであるこのアルバムは、作品的に大きな変化を見せた。

ハートランドの演奏は減り、スポークン・ワードをアルバムに入れた。曲調はバラエティに富んでいる。トータルテーマはないのだが、聞き込んでいくと味わい深い。このアルバムは、内包された悩みを解放させながら、自己批判と内省に戻る内容なのだ。

タイトルチューンのイントロの妙なハイテンションで解放させて、自分自身を奮い立たせるようなラインナップの二曲目が続くのに、精神はネガティブになっていく。思えばこのPVも、すこぶる明るいもので、たしか「HIT’S」という番組だったと思うが、初見で別人かと思うくらいの衝撃があった。

「おれは最低」や「ブルーの見解」などの自己批判とも取れる楽曲は、元春自身の当時の悩みであると言えまいか。等身大の自分を伝えることの難しさ、そこには元春の死生観すら垣間見える。

おそらくこの頃の元春は、新たな表現方法を模索していたのだと思う。バラエティに富む曲調こそが、ロックンローラーでありポップシンガーである元春の真骨頂であり、そこにのせる言葉は表現方法の一端に過ぎないのではないか。
抽象的な表現が選択する言葉は他の誰とも違うが、そこに一貫性があるのかというとそうではない。ただ、それほどとっ散らかった印象がないのが不思議で、前作と併せて佐野元春を語る上で重要な位置を占めるアルバムと言える。

そして元春は表面的には迷走していく。確固たる表現を模索しているが、ファンとして「え?」という方向性に走って行く。それが次作以降のアルバムだ。 続きを読む →

たぬきのMusic Chronicle~第6回~佐野元春Part3

鋼鉄のような知恵

VISITORSを発表してから暫くして元春は帰国する。このあとこのアルバムのツアーを敢行するのだが、残念ながらこのツアーは見ることが出来なかった。あとで聞くと相当アバンギャルドなツアーだったらしい。

その後、85年2月に「Young Bloods」を発表するのだが、これがまた「VISITORS」とはサウンド感が異なる楽曲で、「Shout To The Top」によく似ていると言われたものだ。元春の曲はいわゆる本歌取りに近いものが多い。パクりと言う言い方をする人もいるが、本歌に対するオマージュに溢れていると私は思う。

鋼鉄のような知恵、輝き続ける自由・・・タフな人間たちにこそ自由はある。しかし、そこにたどり着くまでいくつの夜を越えるのか。そんなテーマがここにはある。

「Young Bloods」は国際青年年のテーマ曲として、NHKのスポットでもかなり流れていた。そのせいもあって、元春初のトップ10ヒットとなった。いわゆるブームとしてのセールスはこの辺りから急に上昇カーブを描く。同曲の印税は飢餓に悩むアフリカ難民救済のチャリティーとして寄付された。

前後して松田聖子にHolland Rose名義で「ハートのイヤリング」を提供した。ペンネームの由来は諸説ある。この曲はTOPヒットとなったが当時このペンネームが誰なのかというのは、あまり公開されてなかったので話題にもなった。
その後元春は自作詩を音楽に乗せて朗読するという手法をとる。スポークン・ワードと言う手法だが、前回のアルバムで日本語ラップというジャンルを開拓した元春にとって、詩人としてさらに抽象的かつドラスティックに見つめた解釈の音楽とは言えまいか。

この手法は現在までも好んで使っており、その詩には元春の持つ様々な世界観が凝縮されている。音楽、というか楽曲としてメロディに乗せなければならないという制約がないからだろうか。

シングルカットされた「リアルな現実 本気の現実」はセールス的には伸び悩んだ。元春はブームが上昇気流に乗りそうなところで実験作を発表することが多いような気がする。 続きを読む →