爪痕と強さ

2年前の1月だったか。仕事で石巻に出かけた。
まだ仙石線は全通しておらず、仙台から高速バスでの移動だった。
至る所に爪痕が残り、想像力に乏しい私でも、過酷さが想像できる。

市内に入り高速を降り、駅に着く。駅からはタクシーで移動するのだが、途中にあった町並みは所々抜け落ちて、建物の基礎だけになっている。
歩道橋には津波の高さが記され、川を渡る橋は仮に架けられている。川を渡るとポツポツと新しい住宅が建ち始めていたが、まだまだ荒涼としていた。

仕事の現場は休校中の中学校。津波で亡くなられた方々の安置所だった場所だ。
整備して再度学校に。住んでいる人がいるのだから、学校も必要。

校舎の壁の2階より上の高さに、泥がはねたようなラインがあった。津波はその高さまで来たそうだ。
現場作業はきわめて事務的に行う。 あくまで仕事であるし、器具の設計は寸法と状況がわかれば良い。 ゼネコンとの打ち合わせもそこそこに現場をあとにし、消防署に向かう。

消防署は簡素な作りだが、津波には持ちこたえたようだ。
設備等の打ち合わせはその消防によって差があり、そこの指導に従わなくてはならない。どうやらこのエリアは本部ではなく下部組織で審査をするようだ。本部でない場合、設備に対する知識が浅いことが多い。また、私が扱う器具は見たことがないという署員もいて、説明を懇切丁寧に繰り返し、ようやく解放される。

普段なら相手の勉強不足に(立場上知っていて当然なのだから)苛立ちがあることも多いが、このときは不思議とそんな感情はなかったのを覚えている。 消防署を出てふと、この界隈に、いつもたらこを通販で購入する店があったのを思い出して立ち寄ることを考える。数分の彷徨のあと店を見つけた。

店は改修中だったが商売を続けていた。ネット上では知っていたが、改めてみると感慨深い。何点か買って送ってもらう。店の方の笑顔がひときわ輝いていて、帰路あたたかい気持ちに包まれていた。

数日後、再び石巻に向かう。その現場の他にもう一つ物件が発生し、そちらの打ち合わせも兼ねてである。 最初の現場からすぐのところに新しい現場があり、そこには抜け落ちた町並みの中にあって、被災した事務所の顧客が待っていた。

震災が発生し、家まで帰る話は以前に書いたが、その翌日から、この方面の顧客の安否に関しては全く情報が入らなかった。後処理や手配などで忙殺され、気にはかけていたがこちらからの連絡は取れなかったので、いつしか後回しになってしまった。

半年以上してこの顧客から電話があった。従前から支払い状況の悪い顧客で、社内的にはあまりいい顧客ではなかったが、無事であったことが嬉しかった。それから度々電話でのやりとりはあったが、その後会うのは初めてだ。

挨拶もそこそこに無事であったことを喜ぶ。打ち合わせを行い、帰ろうとすると新しい物件がもう一つあるので確認に行こうと誘われる。こういう連携は大事だ。

軽四輪の後ろに乗り移動する。車中いろいろな話をする。津波の恐怖や流された事務所のこと、そして当時この方が仮設住宅にお住まいだったこと。仮設住宅の話はいろいろ聞いてはいたが、あまり良い話ではなかった。この方のお話では、仮設住宅の業者によって設備に若干の差があり、それによって快適度が違うらしい。

それでも想像に難くない、生活の不自由さ。「仮設住宅にお住まいなのだからいろいろ不自由で大変でしょう」と思わず問うてしまった。すると。

「大丈夫だよ、あったかいから」

あったかい・・・・・なんて伝わってくる言葉なんだろう・・・・・涙がふいに出た。
「どうした?」と聞かれるほど、途切れた会話。そのあたたかさの中に、自分の無力さが交錯した。

今はどうしているんだろう。町並みはどうなっているんだろう。まだまだ不自由な生活をされている方もいるのだろう。すべての方々にエールを送りたい。

人は強い。生きていくことに対する強さ。それに対して自分ができること。改めて見つめる日。

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