○○、会社辞めたってよ。(長いです)

そんなわけで、8月1日から新しい職場で働いている。
19年もつとめた前社を辞めたのは、ある事件が発端。

12月末に義母が急死し、年末の仕事は溜まっていった。年明けて、気持ちを奮い立たせて業務を開始。こういうときに限って受注が殺到する。消費税の値上がりもあって駆け込み需要が多いのだ。

日に日に増えていく受注量は、そのまま仕事量に比例していく。そういうときに限っていらない用事も増える。雑事全般もこなさねばならない。

前職の製品は受注生産品がメインなので、その都度作図し、その都度指示書を起こし、というフローになる。全部が受注生産であればそれほどの問題はなく、建築物に適合する形の製品を製作すればよい。

ところが、既存の一部を使用して更新だったりした場合、各所の細かい取り合い寸法が不明な場合が多く、かといって想像で製作するわけにも行かず、細かい採寸図が来るのを待って、製作にかかる。

統一性のない寸法で今まで製作してきたツケが出ている上に、同業他社製品の一部を使用した場合の部材強度など、改めて計算しなければならないことなどあって、仕事は遅れていった。

顧客の方は一式全部製作するより、一部流用すれば製作部分が少なくてすむと考えるから、通常よりも短い納期で発注が来る。

それ故に通常の休日をすべてつぶして、休まずに作図、強度の計算、届け出の作成などを繰り返す毎日に流されていく。義母の納骨日でさえ、午後から出社したくらいだ。
1月2月は日曜日の帰宅時間が12時を回ることが多く、タクシーでやむをえず帰る。
タクシー代が月に8万円を超えるなど、異常としか言えない状況の毎日に、心身が疲弊していった。

下請けの工場は、こちらが指示した納期より遅れても何も責任を取らない。
指定工場なので、他で製品を作れないのを知っているし、まあ町工場のオヤジなんてそんなもんだ。発注が遅いから作れないと言われては、どうしようもない。

確かにそうなんだが、だからこそ予め、共通性のある部材を製作しておくよう指示は出してあった。しかし、金銭的な問題と相まって製作していなかった。
そういうことが、後でボディブローのように効いてくる。

さて、休日全部出て作図しても終わらず、日々は流れていく。
3月の初旬のことだ。仕事量のインプットとアウトプットのバランスは辛うじて保たれていた。そこに同業他社からの発注が来た。

同業他社が発注してくると言うことは、背に腹が代えられない状態、何とか助けてというサインだ。普段親しくしていて誼もあるから、こちらも男気を持っ
て受ける。

この時点で、納期の短い仕事はすでに間に合ってはいなかった。しかし、受注した製品は、年度内に納めなくてはならないのもまた事実であった。
その調整も兼ねながら、受注することは例年の作業と変わらない。仮に不都合があっても自分の顧客なら、自分が謝罪に出向けば何とかなる。

ましてや私は管理職であった。統括する立場であった。工場の稼働状況、毎日の残業や休日出勤の状況は誰よりも把握している。
あと一月だ、4月になればグッと暇になる。今月頑張ってやってくれれば、何とかなる。
毎年の年度末より少し忙しいだけだ。

仕事の指示書を事務方に作成依頼する。そこでこんな言葉が返ってきた。
「どれだけお客さんに外面よく仕事すりゃ気が済むのか?同業他社なんてやってやる必要はない」

その場で血が上り、私は大声を出した。
判断は君がすることなのか?管理職の判断で動くべきではないのか?
私はなんのために仕事してるのだ?そんな疑問が心を揺さぶった。
営業が外を向いて仕事をするのは当たり前のことだ。

だが、管理職である以上、社内の工程管理も当然理解している。
数字的に比較しても、工場で生産対応できない量ではない。故に受注する。当然のことだ。
社内で、生産性のない業務に対する賃金を賄っているのは、営業なのだ。

そういった部分で口を出す、そういう古株の相手に対して、溜まっていた疲れが滝のように吹き出した。動悸が止まらない。外に出て、地下鉄の階段を降り
た。
このまま階層の高いところに現場調査に行ったら、そこから飛び降りてしまいそうだった。


震える手でメンタルクリニックに電話して、予約を取った。もう仕事は続けられない。
部下もいるが、私が壊れてしまっては仕方がない。精神安定剤を処方してもらった。
私はこの手の薬は全く飲んだことがなく、そのこと自体がかなりのショックだった。

数日後、経営者との話し合いを持った。その直前に総務の者に、現在退職した場合の退職金金額を聞いた。

雀の涙ほどの金額だった。その総務の者は私にこういった。
「こんな会社辞めちゃえ辞めちゃえ。」
私より古くからこの会社にいるこの総務の者の、この発言に神経を疑った。

愛社精神は少なからず誰しも持っていると思っていたが、この会社の社員にそれを望んではいけなかったらしい。長年いることで愛着があるのではなく、た
だ変化のない毎日が居心地がよかっただけだったのだ。

家族のいる部下を見て、少しでも収入を増やそう、少しでもいい生活にしようという考えは、変革して先に進もうという考えは、邪魔なだけだったのだろう。

管理職で、年間の売上利益ともノルマより多く達成して、インフラの整備および管理や、事故時の対外的な対応、業界とのコミュニケーションなど、多岐に
わたって便利に使われてきた結果への対価が、雀の涙ほどの金額で評価されることに、もう迷いはなくなっていた。

「辞めさせてください。」

変わったばかりの経営者は女性で、同性の事務方の肩を持つ傾向にあった。
前年亡くなった創業社長の息子の奥方で、実質は雇われ社長と変わらなかった。

会社の経営陣として株式の一つも持っておらず、発言権がないことを社員の前で平然と吹聴する哀れな経営者だった。
おろおろとする経営者に私はもう一度言った。

「辞めさせてください。」

後の会話に慰留の言葉はなかった。迷いはなくなったとはいえ、寂しかった。
口では功績や、その他について語っていたが慰留する言葉はやはり聞けなかった。同性同士で相手にされなくなるのを恐れたのだろう。

かくして、4月20日付けで長年勤めた事務所を去り、40日の有休消化後に退職と相成った。退職後は、生涯初のハローワークに行ったりはしたが、なんだか
んだとノンビリと過ごせたようだ。

退職後も会社側のグダグダな対応など腹の立つこともあったが、今こうして「完全週休二日残業一切なし」という職場に移籍できたことは幸運と言わずしてなんと呼ぼうか。

幸運はきっとどこにでも転がっているのである。
今まではそれが見えなかったのだろう。
ワーカホリックになると見えないことの方が増えてくるのだろう。

だが今は、その幸運が目の前の現実として体現できる。
そう思ったら壊れた心のダムも修復できた気がする。
壊れた心のダムは、一見治ったようでまたそこから決壊することもあるらしい。
このプレッシャーの少ない職場で、しばらくはリハビリして、次のステージに上がろう。

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