シニカルな視点、SNSの言葉その1

一般論として読んでいただきたいのだが。

SNSをやっていて、違和感を感じること、それは「追悼メッセージ」だ。ニュースとして記事を最初に上げた人はまだしも、それに追従して「合掌」やら「R.I.P」やら、あ、追従じゃなくて追悼か。これ、意味あるのかねえ。

著名人が亡くなる記事を見ることは、ほぼ毎日ある。星の数ほどの著名人がいるのだから、当然のことで、中には自分がファンだったり、生きる指針になっていたりした人もいる。大変な功績を残されて、それがいまの自分の仕事に有用だったり、まあ様々。

人の死を悼む気持ちはそれそれだから、「何言ってんだ」と言われればそうなんだが、普段、街を歩いていて、セレモニーホールなどで弔う儀式があったとしよう。あなたはそこで合掌したりするだろうか。

宗教的な理由でもない限り、まず、しないと思う。そんなに信心深い人はそうそういない。

それでも、なぜ「追悼メッセージ」を書いてしまうのか。仮に近しい存在なら、思い入れがあるだけ、長文になるだろう。SNSである以上、悲しい気持ちも共有して欲しい、もしくは思い出を語りたいという側面は否定しない。そこで、それに便乗して「合掌」やら「R.I.P」やら、ファッションと変わらない。

「おれ、感性豊かなんだ、この人のこと、普通よりはちょっと知ってるぜ、少し親しかったぜ、だから親しみを込めて合掌しないといい人に見られないじゃん」とか「わたし、この人の死について、よくわからないけど、こう書かないとこちら側に見られないんじゃないかしら」とか言う気持ち、心の底にないですか?

もちろんそう思われたい人は、それでいいと思う。私はそういう行為自体が、品がないなあと思ってしまう。中には、死者をビジネスにしてしまうという不遜な輩もいることだし。個人的には同類項だよ。

もっとも、SNSだから表現は自由だし、私に賛同して、それを見かけたときに注意するのも違うと思うし、ともかく「自分はやらない」と言うのが私のスタンス。品がないのはイヤだなと、軽々しく人の死を扱うのはイヤだなと思ってしまうのであります。

ちなみに、「ご冥福をお祈りいたします」の「ご冥福」も、あまり軽々しく使えないんですよ。「ご冥福をお祈りします」は「死後の幸福をお祈りします」という意味で、宗教的には拙いところもある。

そんなに気にしなくていいという意見もあるが、弔いの気持ちを込めるなら、もう少し言葉に気を配ってもいいと思うけどね。

私は、弔う気持ちさえあれば、どこでも祈りは込められるんだから、一人で哀悼していますよ。それでいいと思うんだけどなあ。

コメントは停止中です。