明日をになう新進の舞踊・邦楽鑑賞会

邦楽・・・と言えば私くらいの年代には洋楽に対する邦楽という意味にとることが多い。
いまはJ-POPなんて言い方をするが、昔は洋楽、特にアメリカ、イギリスの音楽を日本に取り入れて、日本人に合ったアレンジをしたものを邦楽と言っていた。

演歌というジャンルがあるが、これはまた邦楽と言われたものとも違い、四七抜き音階といわれるペンタトニックスケール(五音音階)であり、つまり、ドで始まれば4度のファと7度のシを使わない音階を使った音楽である。

民謡や、琉球音楽など、これも含めて邦楽だと思うのだが、日本の音楽の授業はピアノなど平均律で語られるものがほとんどで、どちらかと言えば西洋音楽に近いと言える。

「明日をになう新進の舞踊・邦楽鑑賞会」と言うのを見てきた。舞踊、邦楽という専門の世界を初めて鑑賞した。

ここにある邦楽は前出のものとは違う。日本の古来からある音楽だ。三味線や笛の音色が西洋律にはない表現を紡いでいく。

以前に三味線の楽譜を見せてもらったことがあるが、見慣れないとチンプンカンプンだ。ギターをちょっとかじってみると、TAB譜というのがあるのだが、それと似てると言えば似ている。

驚くべきは演奏中に糸巻きを回してチューニングを変えてしまうこと。「本調子(ほんちょうし)」「二上り(にあがり)」「三下り(さんさがり)」という調弦法だそうだが、絶対音感がないとできない相談だ。

三味線と言えば津軽三味線がポピュラーなのかもしれない。だが、そうではない三味線もなかなか味わいが深く、まさしく音色とも言うべき色がある。

それに合わせた舞踊というのも、立ち居振る舞いから全てがストーリーになっており、心の奥底にある日本人好みの予定調和が、巧みな表現力で語りかけてくる。

今回の公演は、「神田祭」という素踊りから始まった。素踊りというのは衣装などをつけずに、紋服で踊る舞踊。祭礼の賑わいを背景に江戸の祭り、風俗や下町情緒を表した作品で、今回はひょっとことおかめの面で、男女の機微を演じ分けていた。

続いて新内「鬼怒川物語―土橋の段」は、元々の二つの話を一つにまとめた作品で、浄瑠璃の表現の豊かさを味わった。色気のある人間国宝の声が、話の流れに緩急を付け、これまた予定調和で結末が見えているにもかかわらず、引き込まれていく。

続いての舞踊、一中節「家桜傾城姿」は、演者自身の振り付けと演出が秀逸。傾城とは城を傾けるほどの寵愛を受ける美女のことだが、その悲恋を桜の木の下でファンタジーのように浮かび上がらせる。

そして結びは長唄「二人椀久」。椀久と傾城・松山の恋を、バラエティあふれる曲調で聞かせる。長いから長唄なのだと解説の方が話していたが、熱狂と激情と静寂が、いろいろな場面で顔を出す展開に長さを感じさせない。

一芸という言葉で括れば一言で終わってしまうが、ここまでの芸術に育てるには並大抵の修練ではとうてい届かない。そして、根底に流れるスピリットはジャズにも通じるものがあり、魂を揺さぶる。

知らずに終わるか、知って味わうか。物事は知って味わう方が豊かになるとは思わないか。

コメントは停止中です。