用の美

静岡に芹沢銈介美術館というのがある。(せりざわけいすけと読む・けいすけのけいは金へんに圭)
そこで「柳宗悦と芹沢銈介」と言う企画があったので訪問してみた。

「民芸」という言葉をよく耳にするが、これは造語であり、元々の美術では正当に評価されてこなかった日用の雑器や、李朝と呼ばれた朝鮮王朝時代の美術工芸品、木喰の仏像などを発掘し、それらの美を評価すること、即ち民衆的美術工芸品のことである。この一連の評価の先駆者が柳宗悦である。

西洋のアートとも古美術品とも違うその味わいは、誰もが一度は目にする民衆的工芸品となって各所に点在している。

芹沢銈介は優秀な商業デザイナーであったが、柳宗悦と出会い、影響を受け終生交流を深める。
また芹沢は沖縄で紅型(びんがた)の技法を学び、江戸小紋や伊勢和紙などの各地の伝統工芸の技法を元に様々な作品を生み出していく。
その作品は和風であり、時には明るく、時には落ち着いた基調で表現され、ことに型絵染といわれる、布の代わりに紙を型紙で染めたものは、本の装丁から暖簾、屏風、壁掛け、着物にいたるまで幅広くデザインされ、今日にいたっている。

また、終生にわたりアジアを始めとする世界各国の民具や民俗工芸品を蒐集しており、この蒐集品も展示されている。

わたしが、この芹沢作品の中で一番好きなのが親鸞聖人の型絵染である。
この絵の掛け軸は宗派を超えた、神々しいとも言うべき親鸞聖人が見事に描かれており、それでいて大上段に構えることなく床の間に飾られてそうな雰囲気を醸し出している。

されば地と隔たる器はなく、人を離るる器はない。それも吾々に役立とうとてこの世に生まれた品々である。それ故用途を離れては、器の生命は失せる。また用に堪え得ずば、その意味はないであろう。そこには忠順な現世への奉仕がある。奉仕の心なき器は、器と呼ばるべきではない。
柳宗悦『工藝の道』

用の美について語った言葉であるが、正にそこには洗練された効率優先の機能美ではなく、先人が使い勝手を考え、工夫を重ね、民族的、風土的な背景、歴史や生活空間に根ざした美しさの用という考え方が見て取れる。

なかなか地味な美術館ではあるが、一度足を運んでみてはいかがだろうか。ここで凡百の拙文を読むより、じんわりとした和風のぬくもりを感じることが出来るだろう。

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